なぜフィリッピンで医学部に?


                まず初めに考えたのは、金銭的な面でした。
       日本に大学に入り直すには、かなりのお金が必要です。
       その点、アジアの国々なら学費、生活費ともに安く済むのではと考えました。

       次に考慮したのは、言語です。
       まったく知らない言葉の国へ行ったら、医学を学ぶどころではありません。
       フィリピンの国語はフィリピーノですが、幸いにも英語が共通語でもあります。
       大学の授業も英語で、アメリカのテキストを使われています。

       日本を離れる際に、私は日本に戻ってきて医者をするよりも、
       アメリカに渡って医業に就くことを目標に据えていました。
       だから、フィリピン共和国の医学部を卒業した後に
       アメリカの医師国家試験を受ける資格が得られるかが重要でした。
       
       調べてみると、アメリカでは、
       WHOが医科大学と認めている大学の卒業者に受験資格を与えていることが分かりました。
       WHOに認定されている大学とは、すなわちその国によって認められている大学のことです。
       世界のどこで医学を修めても国家資格受験の機会を与える。
       アメリカという国は懐の深い国だとこの時は感じました。



                       


       フィリピンで医科大学を卒業した私は、
       アメリカの3つの試験に合格して、上のような認定書をもらいました。
       これで、アメリカ国内でレジデントとして働けます。

       さて、いよいよ就職活動です。
       しかし、そこにハードルが存在し、苦労を強いられました。
       アメリカの各地の病院を巡って、自分自身を売り込まなければいけませんでした。

       アメリカは一見はフェアな国で、先に感じたように誰にでも門戸を開いています。
       しかし、実はコネ社会です。

       どこの馬の骨だか分からない輩がウヨウヨしているわけですから、
       人を評価し選ぶ時に、それなりの人からの推薦を重視します。
       推薦する方も、慎重でコイツなら大丈夫という人間しか推しません。
       困ったことに、アジアの野犬のような私には、そんなコネクションは皆無でした。

       病院でボランティアとして働いたりしました。
       マンパワーが不足気味の病院では研修医が行う業務ぐらいのことはさせてくれます。
       そこで、やる気と人間性を見てもらってアピールをする。
       うまく行けば、「君はよく働くから」となるはずだったのですがね。
       苦し紛れに、当時のクリントン政権で保健行政を担っていた
       ヒラリー・クリントンさんに手紙を書いたこともありましたね。

       まあ、今思えば、縁がなかったということでしょう。
       運も重要ですが、縁も大切ですよね。


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