パターナリズムとは、日本語では「父権主義」等に訳されます。 強い立場にある者が、弱い立場にある者に対して、後者の利益になると判断して、その意思に関係なく行動を支配することです。 「余計なお世話」になるかもしれません。賭博禁止などは国家の国民に対するパターナリズムの現れです。 さて、日本の医療現場では、医師と患者の関係において、専門家である医師に治療をお任せするという、パターナリズムが 普通でしたが、今は、個人の決定権が重視され、何事においても医師の説明、そして患者の同意が必要になっています。 インフォームド・コンセントです。契約社会のアメリカから生まれたやり方です。 斜に構えて見ると、彼の地は訴訟社会、「あんたが、いいと言ったじゃないですか」との抗弁から生まれた発想かもしれません。 実際、今日の日本の医療現場では、医療従事者の防衛策として使われている場合があります。 「ちゃんと説明しました。サインしてありますよ」などと、使用されます。 話はかわりますが、もし、あなたが初めてパソコンを家電量販店に買いに行ったとします。 パソコンに関する知識はあまりありません。 店員が一台ずつ、その特性を説明してくれます。そして「どの機種をご購入しますか?」と訊ねられます。 あなたには、価格ぐらいしか判断基準がありません。どうします? 私だったら、自分がパソコンでやりたい事を店員に伝えて、お勧めを訊きます。 ニーズに沿った提案ができるのが、良い販売員だと思います。 医者も同じだと思います。患者に最善だと考えられる方法を提案するのが良い医療者と考えています。 「あなたは癌で、治療には手術、化学療法、放射線治療があり、それぞれのメリットとデメリットは、、」と、詳しく説明をし、 さあ、選びなさいというのは、馴染めません。患者の自己決定権を尊重している? 私は違うと思います。困惑させるだけです。 中には、説明を聞いて理解し、冷静に判断を下せる方もいるでしょう。でも、そういう聡明な人は例外的でしょう。 「これが、いいと思います」と、提案され、「大丈夫です。任せてください」と言われるほうが私はいいです。 だから、私は自分の患者さんにもそうしています。 「説明義務不十分で訴えられる」って? もういいじゃないですか、どうせ結果責任で訴訟を起こされるなら、いくら説明しても同じです。 患者の為にベストと思われる手段を選択し、最善を尽くす。人知の及ばない出来事が起こり、患者の命が失われる。 そういうことはあります。仕方ないことです。 でもそれが、訴訟に発展する、ましてや、最近は刑事責任を問われるやもしれない。 それは、そういう社会に問題があり、けっして医療者側に問題があるわけではありません。 堂々した行為を行うことが、プロだと思います。 最悪でも破産、執行猶予、免許停止でしょう。 死ぬわけではありません。 だから、恐れず、患者のためにベストを尽くします。 私達は、自分の妻、子あるいは親に施すのと同じ治療の選択をし続けているのですから。 |